組織改革とその歴史的意義

この時期に、なぜGMがこのような大がかりな機構改革に踏み切るに至ったか・・・


その戦略的狙いはどこにあるのか・・・


これらの点について、機構改革の内容とも照らし合せて検討を加えることにしましょう。


1920年末に、GMが不況下の過剰在庫で倒産の危機にひんし、創業者デュラントが辞任した後を受け継いだスローンは、約4年がかりで事業部制による組織改革を行っています。


彼が事業部制を採用した主たる動機は、5つの中堅自動車メーカーの統合持株会社でスタートしたGMが、管理の全社的統一性と体系性に欠け・・・


各子会社の政策がまちまちであった状態を改め、明確化された統一方針11戦略方針をまず確立することでした。


そして、そのような統芳針のもとで、全社的目標を提示し、各子会社を事業部として、共通の統芳針の枠内で、これに包括的な責任と権限を与えます。


そして、各事業部の分権化による社内競争を推奨して、GMの組織の活性化をはかったのです。


この頃には、まだ今のような中古車検索方法はありませんでしたね。

トップの座を守り続けるメーカー

GMがかつてその中興の祖と言われたスローンのもとで事業部制を採用し・・


当時としてはまさに画期的な組織革新に乗り出したのは、1920年不況と、その時までの子会社の寄合世帯による不統一と放慢経営であわや倒産の危機に直面した時でした。


そしてこの時の起死回生の機構改革は、1920年代のアメリカ自動車市場の環境変化を読み込んだ戦略構想と結びついています。


この時の組織革新と戦略展開が見事に結実。


GMは20年代の間にトップ・メーカー、フォードに対する逆転劇を見事に演じ、以来トップの座を守り続けてきています。


・・・そして、この時の事業部制組織の大原則であるキャデラック、ビュイック、オールズモービル、ポンティアック、シボレーの主要車種ライン別の5事業部を根幹とする組織構造は、一貫して守られてきたのでした。


ところが今回の機構改革では、ビュイック、キャデラック、オールズモービル、の3事業部を大型乗用車グループに、シボレー、ポンティアックの2事業部にGMカナダを加えて小型乗用車グループに・・・


それぞれ集約化し、総括するというのですから、これは、今までにない大がかりな組織の改変です。


ミツオカ 中古車が有名になる前の事件です。

GMの大機構改革


デトロイトの自動車不況からの回復は目ざましいものがあります。


それまで不振だった大型車が回復の目玉となって・・・


とくに大型車に強いGMの業績は、1984年度だけで利益が50億ドルを越えたと伝えられます。


このような業績が絶好調の最中に、GMは1985年1月の取締役会において、これまで60有余年来の伝統を誇ってきた5事業部を根幹とする事業部制組織に、大幅な変更を加える大機構改革を決定したことを発表。


注目を集めました。


組織や機構の改革というのは、いろいろ内部的に厄介な問題をはらんでおり、そう簡単に着手できるものではありません。


今回の機構改革も、組織タスクフォースの手で煮つめられていって、実際に実施されるのは3年後以降ということですが・・・


それにしても、中古車の検索方法が出始め、業績がこれだけ上向いた時期に、このような思い切った機構改革を決めるというのは・・・


GMがこれまでの厳しい社会環境や、市場環境の変化と国際競争の現実を踏まえながら、21世紀をにらんだ戦略構想を大胆に打ち出したことと無関係ではないでしょう。


生き残る自動車メーカー


研究開発力と商品開発力、生産技術と三拍子そろってすべての領域を網羅できるメーカーとなること・・・


これは、いかなる大メーカーといえども、そのリスクをすべてカバーできない以上困難です。


商品開発力一つをとっても、メーカーによって、また国によって得手不得手はあります。


そこで、お互いの得手不得手をカバーし合った相互補完型の提携は今後ますます増加していくでしょう。


また新技術の出現や開発テンポが速まっていく傾向にあることも、相互補完の必要性を高めさせます。


この場合、研究開発でも、商品開発でも、技術的にみて核になりうる要素的技術やノウハウを蓄積するメーカーが、相互補完関係のイニシアチブをとることになります。


ミツオカ 中古車のように特色のある技術や研究の蓄積のないメーカーは政治的保護によって生き残るとしても・・・


結局、単なるライセンス・アセンブラーか、コンポーネント組付けメーカーに転落していくしかないでしょう。


・・・いずれにせよ、世界の自動車産業再編の構図は、かつての合併再編成よりも要素的技術の蓄積の有無によって描かれていく時代に入っていくように思われます。


GM-トヨタ提携によって脚光を浴びた相互補完的提携の行方はそのような方向性を示唆しているのです。

激化する技術革新による競争

合弁の最大の特徴は、他の日本メーカーの現地生産と異なってUAW組合員を採用し、ビッグ・スリー並みの賃金を支払うことを約束したこと・・・


そして、UAWにも日本式生産システム導入についての協力をとりつけていることでしょう。


最終的な労働協約は目下その合意を目ざした折衝が続けられていますが・・・


雇用保証と引きかえに生産性向上のための協力でUAWがどのような譲歩を行うか、その行方が注目されます。


しかし、この提携が今後どうなっていくか、8年経過した後どうなるか・・・


とくにトヨタが単独生産に切替えるかどうかといった問題は、憶測の域を出ないからさておくとして、この提携がもつ意味は、今後の世界の自動車産業を展望する上で見逃すことができないのです。


この提携は、急激な地殼変動を体験した世界の自動車産業に、かつての大規模化成長時代の合併再編成時代が終りを告げ、中古車情報が増え保護貿易主義が強まる中で・・・


自動車メーカーが共存と生き残りをかけた一種の相互乗入れによる相互補完的提携を進める時代に入ったことを示唆しています。


世界の自動車市場が低成長に突入した中で、技術革新による競争はますます激しくなります。


商品開発力と生産技術の優劣が問われ、中長期的なリスクの高い研究開発にも力を注ぐ必要が高まっています。

ミツオカの中古車


GM-トヨタ提携は、1983年12月のFTCの同意審決後順調に滑り出しました。


合弁の新会社が資本金2億ドルで発足しました。


新会社の社長は豊田達郎氏がトヨタ側から出て、トヨタ側がコンポーネント供給、新設備の据えつけ、生産管理、部品調達に責任をもつことになっています。


GM側は労使関係や総務関係などに責任を負いながらトヨタ方式の生産システムの修得に努めています。


1984年12月にはスプリンターの改良車GM名称「ノバ」の第一号車がラインオフしました。


現在の従業員数は一直で1200人ですが生産が軌道に乗れば、ニ直で2500人で25万台を生産することになる予定であるといいます。


1985年4月の予定生産台数が月1500台であるので1986年中には25万台生産体制が確立します。


生産された小型車は全量GMのシボレー販売網に供給されました。


この小型車は、ミツオカ 中古車とともに根強い人気を誇っています。


代理戦争としての自動車レース

轟然たるエンジン音。


"死を賭しての"デッドヒート。


ときとして発生するクラッシュ事故!


・・・さらにそれは、たまたま純粋の傍観者であるべきはずの観客まで巻き込むことがあります。


1957年のイタリアのミッレ・ミリア(1000マイルレース)では、ゴールのわずか30マイル手前の地点で、路上のキャッツアイ(路面に埋めこんだ夜間用反射標識)のためタイヤをバーストさせたスペインのデ・ボルタゴ侯爵の操縦するフェラーリは鈴なりの観衆の中につっ込みました。


空中高く飛び上ると溝の中に落ち、ボルタゴと同乗者は即死・・・。


同時に子供5人を含む10人の生命が奪われました。


27年にはじまったミッレ・ミリアは、この年を限りに中止となりました。


さらにその前の1955年のル・マン24時間レースでは、メルセデス・ベンツ300SLRに乗ったフランス人のピエール・ルヴェーは、先行するオースチン・ヒーレーと接触して空中を舞い、満員の観客席にとび込んでいます。


車は爆発炎上し、80名以上の死者を出しました。


中古車の情報などが氾濫する現代社会ですが、いまだにこうした自動車レースの人気が高いのも不思議です。


やはりスピードには魔力があるのでしょうか。


スピードの魔力

20世紀の神話の一つ、スピードへの異常な嗜好も、よく考えてみると、紙一重に存在する死によっていっそう鮮烈なものとなります。


20世紀はまた人類を破滅に導きかねなかった、大量破壊をともなう2つの世界大戦によっても特徴づけられます。


その後も長い間、原水爆の恐怖は続き、人々は死に直面して生きるほかなかったのです。


ミツオカ 中古車などで今は簡単に購入することが出来る自動車のもつ根本的な魔力は、言うまでもなくそのスピードにあります。


そこに現代人を一瞬なりとも現実から解放し、深く陶酔させる強烈な美学が生まれます。


ペストが流行した中世ヨーロッパで、人々は「メメント・モリ」(死を忘れるな)を相言葉として生きのびようとしました。


逆に、文明も宗教も人々に死を忘れさせる効用をもつ場合もあります。


20世紀人はあまりにも身近な"死を忘れて"生きる道を選んだのかもしれません。


モーター・レーシングは筋書きのないドラマといわれます。


たった一つの判断ミスが、一個のボルトのゆるみが、勝敗の明暗をわけます。


そのような意外性の連続が20世紀の人々の心を強くとらえたのでしょうが、さらに別の理由も考えられます。


戦争に明け暮れた20世紀にあって、モーター・レーシングは、日常性のらち外にある一種の"代理戦争"とみることも可能なのです。

スピードの美学

人間と機械の関係のあり方。


その変化の様態は20世紀を理解するうえで大きな意味をもっています。


映画という庶民のひそかな願望の中で、機械(特に中古車情報でも人気の自動車)は人間と親しく交流し、コミュニケートし、心情的にも相互理解を行います。


・・・と同時に光にともなう影のように、無惨な破壊も顔をのぞかせています。


20世紀とは人間と機械の"もたれ合い"、その愛憎関係が着実に強まっていき、機械なしに人間は生きられなくなっていく状態にまでなった時代です。


しかしそうした"機械の中の機械"というべき自動車の魅力(もしくは魔力)は、はたしてどこにあるのでしょうか。


ネオ・フロイディアンと言われるアメリカの心理学者エーリッヒ・フロムによると、現代人は生に接する態度がしだいに機械的になりつつある、と指摘します(『悪について』鈴木重吉訳)。


生を愛するバイオフィリアではなく、むしろ死を愛するネクロフィリアの傾向が強いといいます。


また創造することのできない人は破壊したいと願う、とも言っています。


彼はそれを裏書きするものとして、実は前述のマリネッティの『未来派宣言』を引用しています。


破壊の本能

ようやく坂の頂上に達しましたがそれ以上は走れません。


主人公は血走った目であたりを見回します。


トレーラーが勝ち誇ったようにその姿を現わします。


主人公はついにドアをあけ、草地の上に身を投げ出します。


トレーラーは中古車情報でも人気のあるセダンに激突、炎上します。


トレーラーの運転手は何とか両車を切り離そうとしますが、2台はもつれ合って谷底に転落、大爆発が起るのです。


破壊のシーンを目のあたりにした視聴者は、例の"代償的満足"なるものを味わうわけですが、カー映画の本道はチェイスから破壊へと通じているのかもしれません。


破壊本能という言葉は簡単に口にされます。


・・・しかし20世紀の暴力と破壊への嗜好は、もっと根深いものがあります。


徹底した破壊以外の何物でもなかった2つの大戦の記憶が、あるいはその下敷きにあるのでしょうか。