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2011年06月 アーカイブ

映画と自動車

アメリカ、イギリスのエンタテインメント小説は、このように巧みにクルマの性格による使い分けがなされています。


いくら中古車情報サイトなどで人気があるとしても・・・


ジェームズ・ボンドの007がミニに乗ったのでは格好がつきませんよね。


映画においてもクルマの選択は、配役の性格づくりに重要な役割をはたしています。


日本にもクルマに大きなこだわりを示す大藪春彦のような作家もいますが、これは例の、「原則を証明する例外」でしかないのです。


20世紀を特徴づけるものとして、自動車のほかに映画があります。


ほぼ同時期2895年、リュミエール兄弟、フランス)に生れたこの2つはきわめて"相性"がよいでしょう。


ともに"動くもの"だからかもしれません。


映画のごく初期から自動車は大切な小道具でした。


ハロルド・ロイド、バスター・キートンといった喜劇役者と自動車とは切っても切れない縁があり、彼らはひたすらクルマで走りまくりました。


カー・チェイスは、はじめから映画の重要なテーマでした。


チェイスこそ映画の真髄


「北北西に針路を取れ」(1959年)など、追っかけもので名を知られるアルフレッド・ヒッチコックは言っています。


「私にはチェイスこそ映画という媒体の最終的な表現のように思える」。


・・・もっともそれとは裏腹に、チェイスの全くない「裏窓」(59年)も彼の作です。


映画の中で自動車にはさまざまな意味づけがなされました。


男性の力強さ、暴力を表現するもの・・・


さらには人間に敵意をもつものとして(スティーヴン・スピルバーグ監督のTV映画、「激突!」、72年)、さらには「怒りのぶどう」(40年)のように、経済的苦境からの脱出手段として使われることもありました。


故障ばかりしている1925年製ダッジのトラックで西へ西へと進むジョード一家がふと目にした、ハイウェイを疾走する"流線形のヒット商品"リンカーン・ゼファーの姿は、"持つ者と持たざるもの"の対比を鮮明に浮彫りにしています。


まだ中古車検索システムがなかった時代ですが、自動車はこのころ、20世紀社会の(良きにつけ悪しきにつけて)欠かせない隣人になったことをうかがわせています。


映画は平均的市民の心理と感情(そしてときにはモラル)の平均値を表現するものとも言われています。


しかし時としてそれは架空の世界にも深く足を踏み入れます。

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