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中古車情報 アーカイブ

はじめまして!

今日からブログをなんとなく始めてみました。


このブログでは、私の趣味であるクルマ・・・


特に中古車についてや中古車情報などを主に書いていこうと思ってます♪


よろしくお願いします!!


さて、まずは文芸作品の中に登場する"クルマ"についてみていきましょう。


藤沢桓夫の『首』という散文詩風の短篇(大正14年、1925年)は、彼の実質的な処女作ですが、冒頭に幻想的な自動車の狂乱が描かれています。


「まるで疾風だ。


骨張った建物が・・・蒼ざめ、盛り上っては地の底に沈んでいく。


・・・活動を停止し切った都会のなか、この自動車のみが、爆発の持続に耽ってゐるのだ・・・


私はこの自動車を都会の胃袋だと感じた・・・」。


その自動車は雪の街を疾走し、遂には街路樹や電柱をなぎ倒し、さては赤いポストに衝突して停止します・・・


しかしこの車は主人公が運転しているわけではありません。

自動車、2つの顔

主人公は"乗客として"いわば"架空の"スピードの狂乱を味わっているだけです。


そしてこの種の、スピードの妖しい魅惑を扱った作品は、今日までもほとんど見ることはできないのです。


オールダース・ハクスリーが自分で車を操縦したかどうかは不明です。


しかし、"Those Barren Leaves"(25年)の中で、当時イギリスを代表するスポーツカー、ヴォクスホール30/98型を疾走させる場面が描写されています。


「スピードが高まるにつれ、ホヴンデン卿の気分は高揚してきた。


唇はひきまげられ歓喜の微笑が消えずに漂っていた。


ゴーグルのガラスのうしろの目はひどく輝いていた。


"なかなか快適だな"


彼がいった。」


さて、自動車が20世紀の人々の心を捉えたのは2つの理由からです。


一つは便利な交通手段として、そしてもう一つが、そのスポーツ性・・・


つまりスピードの魔力です。


しかしこの時代にはまだ中古車情報も少ないものでした。


風俗としての自動車

ハクスリーはすでにこの魔力を理解していたし、それなしに『素晴らしい新世界』の中の"フォードは神にとって代った"という発想は生れてこなかったでしょう。


半世紀以上前に彼は自動車がそれに代表されるテクノロジーが、人間の精神生活の代用になりうることを予見していました。


もっとも事日本に関する限り、文士たちがテクノロジーに積極的に反応した形跡はありません。


しかし、自動車は西欧の人々にとっては"最も身近な"機械でした。


裏切りの可能性を秘めながらも人間のコントロールに応えてくれる機械です。


いっぽう日本の場合、自動車の運転は、大人のなすべきことではなかったのです。


この時代に中古車情報が少ないのもうなずけますね。


夏目漱石の言う"車夫・馬丁の輩"の扱うべき下等な行為でした。


自動車は日本人の目からすると、少なくともそれが文学作品にあらわれている範囲では、一つの風俗であり、かなり役に立つ"道具"でしかなかったのです。


そしてこの姿勢は今日までも尾を引いています。


それはテクノロジー文明のシンボルでも何でもない、いわば真摯に問題にしないでよい存在でした。

自動車と中古車の歴史

日本の文士の場合、特別な場合を除いて、テクノロジーに関係したことについての無知と無理解をカバーするため、軽蔑をもって接しようとしました。


いえ文士だけでなく、一般的日本人とテクノロジーのかかわり合いの仕方が、それと同じだったのでしょう。


第二次大戦後になり、日本の自動車工業が本格的に成長しはじめても、自家用車の比率はごく低く、タクシー優勢の状態はしばらく続きます。


"純粋に自家用車として"設計されたはずのスバル360でさえ、純オーナー用は初期においては8%にすぎなかったという調査報告もあります。


中小企業向けの社用車が大部分でした。


そして多くの人々が自らの手でハンドルを握ることのできるのは、経済が異常なテンポで成長を続ける1960年代半ば以降です。


そして便利な中古車の検索システムが完成するのは、そのさらに数十年後です。


戦前と最も異なる性格は、かつて軍需と結びついていた自動車産業が、家電製品と同じ、消費経済にその活路を見出そうとしたことでした。


この中にあって、梶山季之の『黒の試走車』(昭和37年、1962年)は、しのぎをけずり合う自動車メーカーとその中の人間を描くものとして、戦前に見られないジャンルを開拓しました。

消費社会の成立

作家はようやく自動車という社会現象にも目を向けはじめました。


そして自らハンドルを握る"戦後派"作家も、しだいにその数を増してきました。


ただ確かに梶山は"自動車メーカー"を描いたのは事実ですが、自動車そのものについてはそれほどつっ込んだ理解を示していないかもしれません。


それは他の作家についても同様でしょう。


日本人の意識の中で、かつて自動車とは、トラック、バス、タクシー、自家用車ぐらいの分類で事足りました。


そして戦後の乗用車時代になっても、金持の乗る外車、ふつうの人の国産車、いかれた若者のスポーツカーと分けて考えるだけでよかったのです。


この時代になって少しずつ中古車情報も増えてきました。


車名や車格は、よほどの通でもないかぎり、どちらでもよいことでした。


しかし欧米人にとって、車名はメルセデス・ベンツにしてもロールズ・ロイスにしても、独特な歴史と性格を背負った存在でした。


また、それにふさわしい人間がふさわしい車に乗ることが、社会で暗黙のうちに了解されているのです。


巧みな車種の使い別け

日本の小説において、車名というものは特殊な"外車"を除いてどうでもよいでしょう。


歴史の重みのない日本のクルマは、極端にいえばいずれも大して違いがないからかもしれません。


このような状況のもとでは、作家は自動車そのものに過大な注意を払うことは、かえって作品に不自然さをもたらすことになります。


欧米ではそうではありません。


例えばアメリカのハードボイルド作家レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』では、冒頭に銀色のロールズ・ロイス(大金持の女の所有)が出てくるのはともかく・・・


アル中の作家はジャガー、その奥さんでひと癖ある女性は、ジョエット・ジャヴェリンというあまり名の知れないイギリス製スポーツカーに乗っています。


このクルマは当時のアメリカ上流社会にあっては、きわめてナウい存在だったことがおもしろいですね。


そして主人公の私立探偵フィリップ・マーロウのクルマは、くたびれたオールズモビールです。


これはいまだに中古車情報サイトなどで検索されるほどコアな人気を誇っている車種です。

映画と自動車

アメリカ、イギリスのエンタテインメント小説は、このように巧みにクルマの性格による使い分けがなされています。


いくら中古車情報サイトなどで人気があるとしても・・・


ジェームズ・ボンドの007がミニに乗ったのでは格好がつきませんよね。


映画においてもクルマの選択は、配役の性格づくりに重要な役割をはたしています。


日本にもクルマに大きなこだわりを示す大藪春彦のような作家もいますが、これは例の、「原則を証明する例外」でしかないのです。


20世紀を特徴づけるものとして、自動車のほかに映画があります。


ほぼ同時期2895年、リュミエール兄弟、フランス)に生れたこの2つはきわめて"相性"がよいでしょう。


ともに"動くもの"だからかもしれません。


映画のごく初期から自動車は大切な小道具でした。


ハロルド・ロイド、バスター・キートンといった喜劇役者と自動車とは切っても切れない縁があり、彼らはひたすらクルマで走りまくりました。


カー・チェイスは、はじめから映画の重要なテーマでした。


チェイスこそ映画の真髄


「北北西に針路を取れ」(1959年)など、追っかけもので名を知られるアルフレッド・ヒッチコックは言っています。


「私にはチェイスこそ映画という媒体の最終的な表現のように思える」。


・・・もっともそれとは裏腹に、チェイスの全くない「裏窓」(59年)も彼の作です。


映画の中で自動車にはさまざまな意味づけがなされました。


男性の力強さ、暴力を表現するもの・・・


さらには人間に敵意をもつものとして(スティーヴン・スピルバーグ監督のTV映画、「激突!」、72年)、さらには「怒りのぶどう」(40年)のように、経済的苦境からの脱出手段として使われることもありました。


故障ばかりしている1925年製ダッジのトラックで西へ西へと進むジョード一家がふと目にした、ハイウェイを疾走する"流線形のヒット商品"リンカーン・ゼファーの姿は、"持つ者と持たざるもの"の対比を鮮明に浮彫りにしています。


まだ中古車検索システムがなかった時代ですが、自動車はこのころ、20世紀社会の(良きにつけ悪しきにつけて)欠かせない隣人になったことをうかがわせています。


映画は平均的市民の心理と感情(そしてときにはモラル)の平均値を表現するものとも言われています。


しかし時としてそれは架空の世界にも深く足を踏み入れます。

架空の世界の中の自動車

ジャン・コクトーの「オルフェ」(1950年)では、黒塗りのロールズ・ロイスは冥界との通信を可能にする手段でした。


ウォルト・ディズニーの「うっかり教授」(61年)や、「チキチキバンバン」(68年)では、自動車は空を飛び、水を渡り、主人公の危難を救ってくれます。


映画という空想の世界で、自動車は擬人化され、さらに機械としての理想である知性さえもっています。


自動車は、すくなくとも映画の中では一足早く、"インテリジェンス"でした。


・・・しかし自動車が人を愛し、自由意志で行動をはじめるとなると事はおだやかでありません。


けれども同じくディズニーの、「ラブ・バッグ」(69年)ではそれが実現しました。


そしてその主人公の自動車がVWビートルであることで、アメリカ人なら誰でも納得します。


フォードやシボレーでは、こうはいかなかったでしょう。


中古車情報でも人気の高いVWビートルは、自動車が日常生活の道具となりきった戦後のアメリカ人にとってさえ、独得で親密な心情的価値をもっていました。


ジェームズ・ボンドとアストン・マーチン

映画の中に出てくる自動車は、それぞれの場に応じた車格、雰囲気をもった銘柄でなくてはなりません。


視覚的要素が強いだけに、小説以上にその点に気をつかうものらしいですね。


ジェームズ・ボンドの007は、小説では戦前の名門スポーツカー、ベントレー4.5リットル(スーパーチャージャーつき)に乗ることになっていましたが・・・


映画の中では中古車情報でも人気の高いロータス・エスプリからシトロエン2CVまでさまざまな車に乗っています。


しかし最もきまったのはアストン・マーチンでした。


アストン・マーチン社にその使用を申し入れたところ、ヴィクター・ゴーントレット会長(当時)は一もニもなく承知し、自分の乗っていたヴァンテージ・ヴォランテを提供しました。


同社のスポークスマンのジョフリー・コートニーは言っています。


「ジェームズ・ボンドがアストン・マーチンを運転したからといって車が売れるわけでもない。


だがDB5が、"Gold finger"(65年)で使われたことで、アストン・マーチンの名前は市場にはっきり刻み込まれた。


それはPRとして大成功だった」。

破壊は消費社会の重要な要素

トヨタの野心作、トヨタ2000GTのコンバーチブル(市販されず)も"ボンド・カー"に使われました。


九州の小島にロケしたことで話題となった「007はニ度死ぬ」(67年)です。


日本の自動車工業が、ようやく一人前になったことを示すエピソードといってよいでしょう。


消費社会とは言うまでもなく、規格化された商品を量産し、市場で大量販売を行うことです。


中古車情報検索システムの開発などもこれに大きく関わってきます。


しかしそこにはもう一つの要素が必要となります。


"計画的に"旧式化され、また破壊された商品の廃棄処分です。


消費社会は、いわば機能的なゴミ処分場なしには成立しない、といってもよいでしょう。


破壊はこの20世紀社会の現実的また心情的な因子の一つです。


そのことは映画にも反映しています。

「激突!」の不気味さ

「ET」(1982年)などで知られるスティーヴン・スピルバーグ監督のいわば出世作が、前にも触れた「激突!」でしたが・・・


それに続く劇場用映画の第一作「続・激突!カー・ジャック」(73年)は、ある若夫婦に警官ごと乗っとられたパトカーを何と250台のパトカーが追っかけるという壮絶なカー・チェイス映画でした。


スピルバーグは、チェイスにも破壊(中古車などのクルマ壊し)にかけても巧みな腕を見せる映画づくりをしました。


「激突!」では、何の気なしに追い越したトレーラー・タンクローリーが、突如猛スピードをあげて主人公の乗るプリムス・ヴァリアント(セダン)を追いかけてきます。


その男はこのときから絶え間ない恐怖のとりことなります。


いくら逃げてもだめ・・・


トレーラーの運転手は決して姿を見せないのです。


トレーラーは、無気味な悪意の化身となります。


登り坂が見えてきた・・・ここでプリムスは差を開けるはずだ・・・


主人公は思い切ってアクセルをふかします。


トレーラーを振り切ったか甚見えたとき、エンジンルームから白煙が噴き上がりました。


オーバーヒート。


スピードは徐々に失われていきます。

破壊の本能

ようやく坂の頂上に達しましたがそれ以上は走れません。


主人公は血走った目であたりを見回します。


トレーラーが勝ち誇ったようにその姿を現わします。


主人公はついにドアをあけ、草地の上に身を投げ出します。


トレーラーは中古車情報でも人気のあるセダンに激突、炎上します。


トレーラーの運転手は何とか両車を切り離そうとしますが、2台はもつれ合って谷底に転落、大爆発が起るのです。


破壊のシーンを目のあたりにした視聴者は、例の"代償的満足"なるものを味わうわけですが、カー映画の本道はチェイスから破壊へと通じているのかもしれません。


破壊本能という言葉は簡単に口にされます。


・・・しかし20世紀の暴力と破壊への嗜好は、もっと根深いものがあります。


徹底した破壊以外の何物でもなかった2つの大戦の記憶が、あるいはその下敷きにあるのでしょうか。

スピードの美学

人間と機械の関係のあり方。


その変化の様態は20世紀を理解するうえで大きな意味をもっています。


映画という庶民のひそかな願望の中で、機械(特に中古車情報でも人気の自動車)は人間と親しく交流し、コミュニケートし、心情的にも相互理解を行います。


・・・と同時に光にともなう影のように、無惨な破壊も顔をのぞかせています。


20世紀とは人間と機械の"もたれ合い"、その愛憎関係が着実に強まっていき、機械なしに人間は生きられなくなっていく状態にまでなった時代です。


しかしそうした"機械の中の機械"というべき自動車の魅力(もしくは魔力)は、はたしてどこにあるのでしょうか。


ネオ・フロイディアンと言われるアメリカの心理学者エーリッヒ・フロムによると、現代人は生に接する態度がしだいに機械的になりつつある、と指摘します(『悪について』鈴木重吉訳)。


生を愛するバイオフィリアではなく、むしろ死を愛するネクロフィリアの傾向が強いといいます。


また創造することのできない人は破壊したいと願う、とも言っています。


彼はそれを裏書きするものとして、実は前述のマリネッティの『未来派宣言』を引用しています。


スピードの魔力

20世紀の神話の一つ、スピードへの異常な嗜好も、よく考えてみると、紙一重に存在する死によっていっそう鮮烈なものとなります。


20世紀はまた人類を破滅に導きかねなかった、大量破壊をともなう2つの世界大戦によっても特徴づけられます。


その後も長い間、原水爆の恐怖は続き、人々は死に直面して生きるほかなかったのです。


ミツオカ 中古車などで今は簡単に購入することが出来る自動車のもつ根本的な魔力は、言うまでもなくそのスピードにあります。


そこに現代人を一瞬なりとも現実から解放し、深く陶酔させる強烈な美学が生まれます。


ペストが流行した中世ヨーロッパで、人々は「メメント・モリ」(死を忘れるな)を相言葉として生きのびようとしました。


逆に、文明も宗教も人々に死を忘れさせる効用をもつ場合もあります。


20世紀人はあまりにも身近な"死を忘れて"生きる道を選んだのかもしれません。


モーター・レーシングは筋書きのないドラマといわれます。


たった一つの判断ミスが、一個のボルトのゆるみが、勝敗の明暗をわけます。


そのような意外性の連続が20世紀の人々の心を強くとらえたのでしょうが、さらに別の理由も考えられます。


戦争に明け暮れた20世紀にあって、モーター・レーシングは、日常性のらち外にある一種の"代理戦争"とみることも可能なのです。

代理戦争としての自動車レース

轟然たるエンジン音。


"死を賭しての"デッドヒート。


ときとして発生するクラッシュ事故!


・・・さらにそれは、たまたま純粋の傍観者であるべきはずの観客まで巻き込むことがあります。


1957年のイタリアのミッレ・ミリア(1000マイルレース)では、ゴールのわずか30マイル手前の地点で、路上のキャッツアイ(路面に埋めこんだ夜間用反射標識)のためタイヤをバーストさせたスペインのデ・ボルタゴ侯爵の操縦するフェラーリは鈴なりの観衆の中につっ込みました。


空中高く飛び上ると溝の中に落ち、ボルタゴと同乗者は即死・・・。


同時に子供5人を含む10人の生命が奪われました。


27年にはじまったミッレ・ミリアは、この年を限りに中止となりました。


さらにその前の1955年のル・マン24時間レースでは、メルセデス・ベンツ300SLRに乗ったフランス人のピエール・ルヴェーは、先行するオースチン・ヒーレーと接触して空中を舞い、満員の観客席にとび込んでいます。


車は爆発炎上し、80名以上の死者を出しました。


中古車の情報などが氾濫する現代社会ですが、いまだにこうした自動車レースの人気が高いのも不思議です。


やはりスピードには魔力があるのでしょうか。


ミツオカの中古車


GM-トヨタ提携は、1983年12月のFTCの同意審決後順調に滑り出しました。


合弁の新会社が資本金2億ドルで発足しました。


新会社の社長は豊田達郎氏がトヨタ側から出て、トヨタ側がコンポーネント供給、新設備の据えつけ、生産管理、部品調達に責任をもつことになっています。


GM側は労使関係や総務関係などに責任を負いながらトヨタ方式の生産システムの修得に努めています。


1984年12月にはスプリンターの改良車GM名称「ノバ」の第一号車がラインオフしました。


現在の従業員数は一直で1200人ですが生産が軌道に乗れば、ニ直で2500人で25万台を生産することになる予定であるといいます。


1985年4月の予定生産台数が月1500台であるので1986年中には25万台生産体制が確立します。


生産された小型車は全量GMのシボレー販売網に供給されました。


この小型車は、ミツオカ 中古車とともに根強い人気を誇っています。


激化する技術革新による競争

合弁の最大の特徴は、他の日本メーカーの現地生産と異なってUAW組合員を採用し、ビッグ・スリー並みの賃金を支払うことを約束したこと・・・


そして、UAWにも日本式生産システム導入についての協力をとりつけていることでしょう。


最終的な労働協約は目下その合意を目ざした折衝が続けられていますが・・・


雇用保証と引きかえに生産性向上のための協力でUAWがどのような譲歩を行うか、その行方が注目されます。


しかし、この提携が今後どうなっていくか、8年経過した後どうなるか・・・


とくにトヨタが単独生産に切替えるかどうかといった問題は、憶測の域を出ないからさておくとして、この提携がもつ意味は、今後の世界の自動車産業を展望する上で見逃すことができないのです。


この提携は、急激な地殼変動を体験した世界の自動車産業に、かつての大規模化成長時代の合併再編成時代が終りを告げ、中古車情報が増え保護貿易主義が強まる中で・・・


自動車メーカーが共存と生き残りをかけた一種の相互乗入れによる相互補完的提携を進める時代に入ったことを示唆しています。


世界の自動車市場が低成長に突入した中で、技術革新による競争はますます激しくなります。


商品開発力と生産技術の優劣が問われ、中長期的なリスクの高い研究開発にも力を注ぐ必要が高まっています。

生き残る自動車メーカー


研究開発力と商品開発力、生産技術と三拍子そろってすべての領域を網羅できるメーカーとなること・・・


これは、いかなる大メーカーといえども、そのリスクをすべてカバーできない以上困難です。


商品開発力一つをとっても、メーカーによって、また国によって得手不得手はあります。


そこで、お互いの得手不得手をカバーし合った相互補完型の提携は今後ますます増加していくでしょう。


また新技術の出現や開発テンポが速まっていく傾向にあることも、相互補完の必要性を高めさせます。


この場合、研究開発でも、商品開発でも、技術的にみて核になりうる要素的技術やノウハウを蓄積するメーカーが、相互補完関係のイニシアチブをとることになります。


ミツオカ 中古車のように特色のある技術や研究の蓄積のないメーカーは政治的保護によって生き残るとしても・・・


結局、単なるライセンス・アセンブラーか、コンポーネント組付けメーカーに転落していくしかないでしょう。


・・・いずれにせよ、世界の自動車産業再編の構図は、かつての合併再編成よりも要素的技術の蓄積の有無によって描かれていく時代に入っていくように思われます。


GM-トヨタ提携によって脚光を浴びた相互補完的提携の行方はそのような方向性を示唆しているのです。

GMの大機構改革


デトロイトの自動車不況からの回復は目ざましいものがあります。


それまで不振だった大型車が回復の目玉となって・・・


とくに大型車に強いGMの業績は、1984年度だけで利益が50億ドルを越えたと伝えられます。


このような業績が絶好調の最中に、GMは1985年1月の取締役会において、これまで60有余年来の伝統を誇ってきた5事業部を根幹とする事業部制組織に、大幅な変更を加える大機構改革を決定したことを発表。


注目を集めました。


組織や機構の改革というのは、いろいろ内部的に厄介な問題をはらんでおり、そう簡単に着手できるものではありません。


今回の機構改革も、組織タスクフォースの手で煮つめられていって、実際に実施されるのは3年後以降ということですが・・・


それにしても、中古車の検索方法が出始め、業績がこれだけ上向いた時期に、このような思い切った機構改革を決めるというのは・・・


GMがこれまでの厳しい社会環境や、市場環境の変化と国際競争の現実を踏まえながら、21世紀をにらんだ戦略構想を大胆に打ち出したことと無関係ではないでしょう。


トップの座を守り続けるメーカー

GMがかつてその中興の祖と言われたスローンのもとで事業部制を採用し・・


当時としてはまさに画期的な組織革新に乗り出したのは、1920年不況と、その時までの子会社の寄合世帯による不統一と放慢経営であわや倒産の危機に直面した時でした。


そしてこの時の起死回生の機構改革は、1920年代のアメリカ自動車市場の環境変化を読み込んだ戦略構想と結びついています。


この時の組織革新と戦略展開が見事に結実。


GMは20年代の間にトップ・メーカー、フォードに対する逆転劇を見事に演じ、以来トップの座を守り続けてきています。


・・・そして、この時の事業部制組織の大原則であるキャデラック、ビュイック、オールズモービル、ポンティアック、シボレーの主要車種ライン別の5事業部を根幹とする組織構造は、一貫して守られてきたのでした。


ところが今回の機構改革では、ビュイック、キャデラック、オールズモービル、の3事業部を大型乗用車グループに、シボレー、ポンティアックの2事業部にGMカナダを加えて小型乗用車グループに・・・


それぞれ集約化し、総括するというのですから、これは、今までにない大がかりな組織の改変です。


ミツオカ 中古車が有名になる前の事件です。

組織改革とその歴史的意義

この時期に、なぜGMがこのような大がかりな機構改革に踏み切るに至ったか・・・


その戦略的狙いはどこにあるのか・・・


これらの点について、機構改革の内容とも照らし合せて検討を加えることにしましょう。


1920年末に、GMが不況下の過剰在庫で倒産の危機にひんし、創業者デュラントが辞任した後を受け継いだスローンは、約4年がかりで事業部制による組織改革を行っています。


彼が事業部制を採用した主たる動機は、5つの中堅自動車メーカーの統合持株会社でスタートしたGMが、管理の全社的統一性と体系性に欠け・・・


各子会社の政策がまちまちであった状態を改め、明確化された統一方針11戦略方針をまず確立することでした。


そして、そのような統芳針のもとで、全社的目標を提示し、各子会社を事業部として、共通の統芳針の枠内で、これに包括的な責任と権限を与えます。


そして、各事業部の分権化による社内競争を推奨して、GMの組織の活性化をはかったのです。


この頃には、まだ今のような中古車検索方法はありませんでしたね。

市場の階層分化

1920年代に入って、アメリカの自動車市場には、最初の成熟市場化の傾向がみられること・・・


つまりフォードのT型によって、底辺から開拓された大衆自動車市場が、第一段階の飽和期を迎えます。


大衆車を持つことのできる程度の所得階層の人々がひと通り大衆車を持ってしまって、それ以降は、自動車の需要は新規需要の拡大よりも、買替需要中心に推移するでしょう。


・・・そこでは、フォードT型のような実用的な大衆車だけでは飽き足らない需要家が、ミツオカ 中古車ではなく、よりデラックスな大衆車を求めている筈です。


さらにその当時までは、フォードT型の独壇場であった1台1000ドル以下の大衆車市場と、1000ドル以上の高級車市場の間にはギャップが歴然と存在しましたが・・・


これが次第になくなって、自分の財布の大きさに応じ、いろいろなタイプの車を欲するようになります。


したがってこのような状況を勘案するとき、当時トップの座にあったフォードに対抗するために、GMのとるべき基本戦略は・・・


よりデラックスな大衆車への上級移行をはかること・・・


そして、いろいろな市場の階層分化に対応した各種車格の車を取揃えるフルライン政策の2本立てでなくてはなりません。

大衆車のデラックス化

大衆車のデラックス化とフルライン政策という2本柱の戦略構想のもとで、GMは大衆車シボレーのクローズ・ボディ(セダン車)化による上級移行・・・


そして、それまで各子会社の生産する車種系列がまちまちで、まとまりがなかったのを、各事業部ごとに明確な車格をきめ、整然と一貫性をもったフルライン政策の戦略を確立しました。


・・・その結果、統一方針が確立し、各事業部はその方針のもとに、これをどう実行するかについては、大幅な自主性を与えられ・・・


互いに利益責任単位として、いい業績をあげる社内競争が活発になりました。


中古車情報もだんだんと増えはじめていきます。


事業部制の組織改革においては、基本的な戦略やポリシーについては、中央本社がこれを集権的に管理。


そのために本社のスタッフや委員会組織が強化されました。


他方、事業部は割当てられた車種の車の開発から、生産と販売まで、自主的に決定する権限を与えられ、各事業部が極力創造性を発揮するようになりました。


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