自動車と中古車の歴史

日本の文士の場合、特別な場合を除いて、テクノロジーに関係したことについての無知と無理解をカバーするため、軽蔑をもって接しようとしました。


いえ文士だけでなく、一般的日本人とテクノロジーのかかわり合いの仕方が、それと同じだったのでしょう。


第二次大戦後になり、日本の自動車工業が本格的に成長しはじめても、自家用車の比率はごく低く、タクシー優勢の状態はしばらく続きます。


"純粋に自家用車として"設計されたはずのスバル360でさえ、純オーナー用は初期においては8%にすぎなかったという調査報告もあります。


中小企業向けの社用車が大部分でした。


そして多くの人々が自らの手でハンドルを握ることのできるのは、経済が異常なテンポで成長を続ける1960年代半ば以降です。


そして便利な中古車の検索システムが完成するのは、そのさらに数十年後です。


戦前と最も異なる性格は、かつて軍需と結びついていた自動車産業が、家電製品と同じ、消費経済にその活路を見出そうとしたことでした。


この中にあって、梶山季之の『黒の試走車』(昭和37年、1962年)は、しのぎをけずり合う自動車メーカーとその中の人間を描くものとして、戦前に見られないジャンルを開拓しました。

風俗としての自動車

ハクスリーはすでにこの魔力を理解していたし、それなしに『素晴らしい新世界』の中の"フォードは神にとって代った"という発想は生れてこなかったでしょう。


半世紀以上前に彼は自動車がそれに代表されるテクノロジーが、人間の精神生活の代用になりうることを予見していました。


もっとも事日本に関する限り、文士たちがテクノロジーに積極的に反応した形跡はありません。


しかし、自動車は西欧の人々にとっては"最も身近な"機械でした。


裏切りの可能性を秘めながらも人間のコントロールに応えてくれる機械です。


いっぽう日本の場合、自動車の運転は、大人のなすべきことではなかったのです。


この時代に中古車情報が少ないのもうなずけますね。


夏目漱石の言う"車夫・馬丁の輩"の扱うべき下等な行為でした。


自動車は日本人の目からすると、少なくともそれが文学作品にあらわれている範囲では、一つの風俗であり、かなり役に立つ"道具"でしかなかったのです。


そしてこの姿勢は今日までも尾を引いています。


それはテクノロジー文明のシンボルでも何でもない、いわば真摯に問題にしないでよい存在でした。

自動車、2つの顔

主人公は"乗客として"いわば"架空の"スピードの狂乱を味わっているだけです。


そしてこの種の、スピードの妖しい魅惑を扱った作品は、今日までもほとんど見ることはできないのです。


オールダース・ハクスリーが自分で車を操縦したかどうかは不明です。


しかし、"Those Barren Leaves"(25年)の中で、当時イギリスを代表するスポーツカー、ヴォクスホール30/98型を疾走させる場面が描写されています。


「スピードが高まるにつれ、ホヴンデン卿の気分は高揚してきた。


唇はひきまげられ歓喜の微笑が消えずに漂っていた。


ゴーグルのガラスのうしろの目はひどく輝いていた。


"なかなか快適だな"


彼がいった。」


さて、自動車が20世紀の人々の心を捉えたのは2つの理由からです。


一つは便利な交通手段として、そしてもう一つが、そのスポーツ性・・・


つまりスピードの魔力です。


しかしこの時代にはまだ中古車情報も少ないものでした。


はじめまして!

今日からブログをなんとなく始めてみました。


このブログでは、私の趣味であるクルマ・・・


特に中古車についてや中古車情報などを主に書いていこうと思ってます♪


よろしくお願いします!!


さて、まずは文芸作品の中に登場する"クルマ"についてみていきましょう。


藤沢桓夫の『首』という散文詩風の短篇(大正14年、1925年)は、彼の実質的な処女作ですが、冒頭に幻想的な自動車の狂乱が描かれています。


「まるで疾風だ。


骨張った建物が・・・蒼ざめ、盛り上っては地の底に沈んでいく。


・・・活動を停止し切った都会のなか、この自動車のみが、爆発の持続に耽ってゐるのだ・・・


私はこの自動車を都会の胃袋だと感じた・・・」。


その自動車は雪の街を疾走し、遂には街路樹や電柱をなぎ倒し、さては赤いポストに衝突して停止します・・・


しかしこの車は主人公が運転しているわけではありません。

プロフィール

HN
雉(きじ)
性別
誕生日
11月23日
血液型
A
趣味
サイクリング
性格
こびない性格
好きな食べ物
ハンバーグ